投稿日時 00:08
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備忘,
僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
将錯就錯 迷中又迷 夢中説夢 八九露提 錯りをもって 錯りにつき 迷いの中に また迷い 夢の中で 夢を説く 72年 すべてを露し 提してきたぞ とても懐かしいご老師の遺偈です。 数年前の夏のこと。 「くたびれた軽自動車に乗って葬儀にでかけたら、そんな車…
7月 28日 還暦
7月25日。 なんだか特別な日のような気がしたが、それが何の日なのか思い出せない。 何があったのだろうか。 飲んで帰るタクシー、信号待ちをしている時、ふと思い出した。 「そうだ、あの人の誕生日だ」 18の頃、12歳年上の人と…
投稿日時 00:20
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by 大童法慧
ここなんです、問題は。 自分の都合のいいように物を考える癖があること。 そして、その自分の都合のいいように物を考える癖に頼ってしまう。 自分の都合のいいように考え、自分の都合のいいように解決を図る。 メメント・モリ、つまり、自分がいつか必ず死ぬことを忘…
7月 14日 白内障
昨年の夏頃から、目が急にみえづらくなりました。 夜の信号が花火のように見えたり、新聞や本を読むことに苦痛を覚えたり・・・体調によっては、見えづらいを通り越して見えない状態にもなります。 処方された疲れ目を癒すはずの点眼薬は、まったく役に立たちませんでし…
投稿日時 00:01
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備忘,
僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
「いのちが私をしている」 大井 玄先生 僭越ながら、「いのちが私をしている」という言葉、これこそ真実の言葉だと存じます。 「いのちが私を生きている」とは、お釈迦さまが成道の叫びの言葉である、と。 それは、「奇…
恥ずかしながら、知命を前にしても私は人に迷惑をかけてばかりです。 上手くいかなかたっり、しくじったり、、、そんなことばかりの繰り返しです。 でも、こんなふうにも思うのです。 愚か者だからこそお釈迦さまに縋ることができ、嘲りを享受できる人間だからこそ生ま…
投稿日時 23:24
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by 大童法慧
いかがでしたでしょうか。 軽く悟りを開かれた方はいらっしゃいますか。坐禅をして、スカッとしたな、心のわだかまりが解き放たれたな、と思った方はいますか。 おそらくほとんどの方は、様々な事が浮かんで来て、あれこれと考える時間になったのではないのでしょうか。…
誰かと関わることは、とても手間暇のかかることです。 その人と「あう・あわない」もあるし、その人から嫌われるかもしれない。 お互いが同じ方向を向けたら幸せだけど、いつもそうとは限らない。 そして、自分の知らない世界に触れるのはとても勇気が必要です。 何もしないのなら、…
投稿日時 14:03
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僧侶的 いま・ここ,
法話
by 大童法慧
昨年8月より満月の夜の坐禅会をはじめております。その坐禅会には、ネットの検索を通じて、断るほどの申込があります。 「郡山 坐禅」とか「福島県 坐禅会」の検索で辿り着くのですね。 けれども、残念ながら、「法話会」という言葉、いえ、存在自体が、福島県ではほとんど浸透して…
6月 02日 乱丁
『そのままのあなたからはじめる『修証義』入門』の改訂版。 献本をした方から、乱丁のご指摘を頂戴しました。 確認をしてみると、、、たしかに1頁ほどずれて印刷されていました。 担当の編集者さんに連絡を取ったところ、「全て回収し、…