先日、ご縁を頂戴したお医者さんの言葉。 「僧侶は意外に言葉に力をもつ方が少ない。対話を対等な立場で構築するのが難しい印象のほうが多いというのが個人的な印象です。経典があるので、自分の言葉をもつ必要がないとも言えます・・・」 「意外に」というのは、そのお医者さんの優し…
投稿日時 20:25
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お知らせ・告知,
僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
3月31日 デスカフェを開催します。よろしければお申し込みください。
平成30年正月2日。 満月の夜の坐禅会に参加された女性。 「雪道で、高速も通っていないから、片道3時間少しかかりました」とのこと。 「なぜ?」というのは、野暮な質問。 けれども、「よく来られましたね」と言わないでいられなかった。 10分の体操、40分の…
投稿日時 10:12
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僧侶的 いま・ここ
by 大童法慧
平成30年 年頭の覚書 何一つ とどまるものなき 世の中に ただ苦しみを留め 苦しむ すこしずつ 盃に入る 酒なれど 家田畑も ついに傾く
12月 30日 終活
ウィキペディアでは、終活を次のように説明している。 終活とは「人生の終わりのための活動」の略で、人間が人生の最期を迎えるにあたって執る様々な準備やそこに向けた人生の総括を意味する言葉である。 終活という言葉に、思い出すことがある。 それは、私のことをとても可愛がって…
投稿日時 03:40
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法話
by 大童法慧
人間の難しさを生きるにあたって、今日、指針となる言葉を二つ皆さんに手渡しておきたいのです。 言の葉6と7をご覧ください。 言の葉6 行蔵は我に存す 毀誉は他人の主張 勝海舟 言の葉7 さるべき業縁の催せば如何なる振舞いもすべし 親鸞聖人『歎異抄』 &…
はじめてお会いするのに、「実は、、、」と切り出さなければならないお話を聞かせていただくことがあります。 そして、なぜか年の瀬は「実は、、、」の出逢いが多いようです。 家庭の不和、経済的な困窮、病、複雑な人間関係、抱えた傷。 その人の一番大切で深い所を「実は、、、」と…
投稿日時 07:40
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法話
by 大童法慧
この話を皆さんはどのように感じたでしょうか。 ガンになってしまったことはとても残念で、悲しくて、やりきれないことだ。だから彼女は可哀想だ、と思ったかもしれません。 けれども、どうなのでしょうか。彼女は、本当に可哀想な人なんだろうか。 ここ…
12月 02日 お酉様
昔勤めていた曹洞宗のお寺。 そのお寺のご家族は、川崎大師を信仰しているとのこと。 だから、お正月はもちろん、事あるごとに川崎大師に足を運び祈願していた。 私自身、とある天部の信仰をしているけれども、酉年生まれのせいか、お酉様も拝んでいる。 今年は三の酉…
11月 25日 歓談
辛い麻婆豆腐にやられたくて、中華街に行くことがあります。 その行きつけの四川料理のお店で、半年ぶりに坐禅会の仲間と。 横浜、鎌倉、小田原、そして、宇都宮からお集りくださりました。 別れの際に頂いたものの一つ。 今日もいいことがありました!…