大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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僧侶的 いま・ここ




9月 17日 塔婆

「それはね、亡くなった方へのお手紙です」 即答したのは、霊園の管理事務所のおばちゃん。 ・・・きっと、マニュアルに書いてあるんだろうな。 それは、「なぜ、塔婆をたてるのですか?」と、質問した男性への答えでした。 男性は、お墓を探していたようでした。 隣のテーブルでコーヒーを飲んでいた私に、おばちゃんは、大きな声で同意を求めました。 「ね、そうでしょう。塔婆って、亡くなった方へのお手紙なのよね。 お手紙だから、いっぱい塔婆をあげた方がいいのよね」 「手紙なら、自分で書けばいいんじゃないの。木に書く必要もないしさ。 それに、数を競うのも、また、違うと思うけど・・・」と、私。 それでも、引き下がらないおばちゃんは、まくしたてました。 「偉いお坊さんが、塔婆は手紙だって言ってたのよ。 それに、自分で書いたって、意味がないじゃないのよ。 お坊さんに書いてもらうから、供養になるんでしょ」 本音と建前を使い分けられない青臭い僕は、言ってしまいました。 嗚呼、数えで40歳にもなるのに・・・ 「でもさ、この霊園の塔婆って、おばちゃんが書いて1本5000円も取ってるじゃん」 そういえば・・・ 室内納骨堂タイプの霊園の塔婆は、割箸くらいの長さで、幅が数センチ。 塔婆の文字は、マジックで書かれて、5千円也。 塔婆は仏像であると、お師匠様から習いました。 塔婆一本、一本が仏様のお姿を意味するのだ、と。 それ故に、供養ができる。
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9月 09日 いただきます

幼い頃をふと思い出しました。 「いただきます」と手をあわせ、箸をとる僕。 「残しちゃあ、いけんよ」と、母の声。 いただきます、このいまを。 目に真っ直ぐ突き刺さる注射針を。 結膜を切り裂くハサミの鈍い音を。 レーザーメスの緑色に輝く発光を。 いただきます、このここを。 役僧を辞め、独りの道を歩む決意を。 組織に所属せず、独りの道を切り拓く決心を。 自由に生きる誇りと自恃を。 いただきます、この私を。 臆病で、見栄っ張りで、エエカッコしいのこの私を。 わがままで、甘えん坊で、スケベエなこの私を。 慳貪で、姑息で、人を騙して笑えるこの私を。 苦しみから救われる事が、全てではない。 苦しみが、私を救う事だってあるのだ。 見えるものだけに、絶望などするな。 人間は、絶望にでさえ支えられて生きる事ができるのだ。 全てをいただいて、深く生きる。 全てをいただいて、深く生きる。
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8月 24日 入院

左目の網膜剥離の手術のため、明日、入院いたします。 手術は、26日です。経過次第ですが、10日間ほど入院します。 決して、喧嘩で殴られて、網膜剥離になったのではありませんからね。 まして、糖尿病でもありません。 近視が強い人に現れる症状だそうです。 入院しても・・・萬福 萬福 手術しても・・・萬福 萬福 でも、ちょっと・・・痛いのは嫌。
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8月 21日 萬福

お通夜の後席についたとき、喪主さんが語りかけてきました。 「母が亡くなって以来、彼女の人生は幸せだったのだろうかと、そればかり考えてしまいました。 88歳、苦労しどおしの母の人生を思うと・・・」と、声を詰まらせました。 「人生の先輩に対して、申し上げるのも恐縮ですが・・・」と前置きして尋ねました。 「幸せって何でしょうね?」 「そりゃあ、お金に苦労しないで、健康で、家族や友達と仲良く暮らして、長生きして・・・」 喪主さんは思いつくまま答えたのでしょう。 しかし、その言葉を遮り、改めて尋ねました。 「それだけでしょうか?」 お金は、ないよりも、あった方がいい。 入退院を繰り返すよりも、もちろん健康である方がいい。 人生、馬鹿と蔑まれるよりも、先生と呼ばれたい。 せっかく生きるのなら、泣いて暮らすよりも、笑って過ごしたい。 けれど、幸せは比較の問題でしょうか? ・・・減っていくのが幸せ? ・・・奪われてしまうのが幸せ? ・・・無くなってしまうのも幸せ? いや、どんな状況にあっても幸せでありたい。 条件など、つけることなく、そう、どんな状況になっても幸せでありたい。 惚れた人と迎えた朝も、ケンカしてぶち込まれた留置所で起きた朝も、同じ朝。 托鉢をしながら野宿した夜も、銀座8丁目のお店で過ごす夜も、同じ夜。 風呂無便所共同の四畳半の部屋から見上げた空も、六本木ヒルズから眺めた空も、同じ空。 「萬福。萬の物、全て福なりって、本当に思える人が幸せなのでしょうね。 お母様は、人生って苦しい事も多いけれど、そんなに悪いものでもないよって、最後に、皆さんに伝えたいと思いますよ。」 あなたは、幸せって何だと思いますか?
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8月 11日 初盆

どんなに悲しくとも 体は勝手に呼吸を止めない。 どんなに空しくとも、朝になれば、また、日が昇る。 雲は流れ、季は巡る。 世界中の花や線香を買占め供えても、多くの僧侶を呼んで法要を営んでも・・・ 亡くなった人は、生き返ることはない。 「もう一年になるのね。やっと、初盆。 正直な話、あの人が亡くなったとは思えない、そんな気持ちがする時もあるの。 もしかしたら、朝、目が覚めたら、隣で寝てるのでは・・・ 振り返れば、テーブルに座って新聞をよんでいるのでは・・・ ひょっとしたら、携帯に電話すれば、出てくれるのでは・・・もしかしたらって、ね。」 ふたりは、二十歳を過ぎた頃に東京で出会い、惹かれ、結ばれ、共に暮らした。 ともに福井の出身だった。 お金も縁故もなかった。 でも、それ故に一生懸命、与えられた仕事をこなした。 彼は真面目で、お酒も煙草もしなかった。 趣味は、小説を書く事。明るく、いつも笑顔だった。だから、楽しかった。 子を授かった事を機に、籍をいれた。 そして、あっという間の37年。 還暦を迎えたら、新婚旅行をしようって、約束していた。 最後は、「ありがとう、ありがとう」って、手を握ってくれた。 ・・・ 「あのね、法慧さん。 主人は娘のところには、もう3度も、夢に現れたっていうのよ。 けど、私のところには、一度も来ないのよ。不実よねぇ。 でも、お盆だから・・・」 お盆。 キュウリの馬、ナスの牛。 馬に乗って一刻も早くこの世に帰り、牛に乗ってゆっくりあの世へ戻って行くように、と。 盆提灯を飾り、盆棚をしつらえて、亡き人を迎える。 あの世があるのか。死んだら霊となるのか。祖霊信仰。習俗。 ・・・とまれ、そんな野暮を言うのはよそうじゃないか。 そうせずにはいられなかった人間の悲しさに手を合わせよう。 そうせずにはいられなかった人間の祈りに、希望をもとう。 供養の養とは、記憶を養う。つまり、忘れない事。 悲しみを生きる力に転ずる事が、何よりの供養なのだから・・・
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7月 30日 風鈴

先日、井上ひさし作・蜷川幸雄演出の「道元の冒険」を渋谷シアターコクーンで観劇しました。 渾身似口掛虚空   渾身口に似て虚空に掛かる 不問東西南北風   問わず東西南北の風 一等為他談般若   一等誰が為に般若を談ず 滴丁東了滴丁東   チリン チリン チりりリン この天童如浄禅師の風鈴頌の歌が、心地よく響きました。 ♫ 私の体が口になる  とても大きな口になる 天地を跨ぐ口になる  宇宙の広さの口になる そうして、その口が透きとおった風鈴になる 東西南北 いたる所から 吹く風に揺れて 悟りを語りだす チチンツンテン チチンツン  チチンツンテン チチンツン♫ 風鈴は、どんな悟りを語りだしているのでしょう。 風鈴は、どのような風も嫌いません。 利の風、衰の風、毀の風、誉の風、称の風、譏の風、苦の風、楽の風、・・・ 順境の風も、そう、逆境の風にも、ただ、チリンチリン、チリリリン そう、生きていりゃ、いろんな事があるもんさ。 上手くいかない事だってあるさ。 裏切られる事だって、唇をかむ事だって、ああもう終わりだなんて思う事だって・・・ でも、大切な事を見失う事さえなければ、それでいい。 それは・・ 多くの関わりの中で、自分があるという事。 多くの関わりの中で、学び生きていかなければならない事。 辛い風が吹いた時は、特に、気をつけるのさ。 そして、注意深く、じっと息をこらし、深く学ぶのだ。 やがて、時が熟せば、君も気づく事になるだろう。 いま・ここに、君が生きている意味を。 そして、あの風は、決して、避けられなかった事を。 そう、あの風が吹かせたのは、君だという事を。 道元の生きた鎌倉時代中期は、飢饉、疫病、地震などに見舞われ、人口の3分の1を失った時代。 そこに、新興の宗教が芽生え、根づいた。 そこにあったものは、体制や組織ではなく、檀家の軒数や葬式の件数ではなく、寺構えの有無や重要文化財ではない。 そう、そこにあったものは・・・ 如浄禅師示して曰く 国に帰り、化を布き、広く人天を利せよ。 城邑聚楽に住する勿れ。 国王大臣に近づく勿れ。 深山幽谷に居して、一箇半箇を接得し わが宗を断絶にいたらしむること勿れ。          『建撕記』
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7月 21日 夏に

うだるような暑さが続くと、なぜだか、思い浮かんでくる詩があります。 昭和54年、青年医師井村和清さんが32歳で癌を患い亡くなりました。 彼には、1歳半の長女飛鳥ちゃんと、2人目の子供を身ごもった妻がいました。 亡くなる直前、最後の正月に残した詩です。 「あたりまえ」 井村和清 あたりまえ こんな素晴らしい事をみんなは何故、喜ばないのでしょう あたりまえである事を お父さんがいる お母さんがいる 手が2本あって、足が2本ある 行きたい所へ自分で歩いてゆける 手を伸ばせば何でもとれる 音が聞こえて声がでる こんな幸せはあるでしょうか しかし誰もそれを喜ばない あたりまえだと笑って済ます 食事が食べられる 夜になると、ちゃんと眠れ、そして又朝が来る 空気を胸いっぱいに吸える 笑える、泣ける、叫ぶ事ができる 走りまわれる みんな、あたりまえのこと こんな、素晴らしい事を、みんなは決して喜ばない そのありがたさを知っているのは それを無くした人達だけ 何故でしょう あたりまえ 和清 今夜も、また熱帯夜。 どうぞ、ご自愛を。
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7月 05日 自分という塊

「自分という塊なんぞ、ない」 この言葉は、私が坐禅を始めた頃、お師匠からいただいたものです。 もう20年も前になります。 その頃も、今のように太っておりまして、また、体が固かったものですから、半跏趺坐さえもままになりませんでした。 一炷40分の間に、何度も足を組み換えておりました。 足が痛い、腰が痛い、と嘆きながら、それでも、後ろ頭で天をつくような気持ちで腰骨を立て、呼吸を整えて、必死に坐っておりました。 半跏趺坐ができるようになったのは、坐禅をはじめて2年後。そして、その1年後に、ようやく、結跏趺坐で坐れるようになりました。 茶話会で、足や腰が痛くて坐禅に集中できないと、訴えられる方もいらっしゃいます。 私も全くそうでしたから、よくわかります。 特に、摂心は辛かったですね、ホント、痛くて涙がでてきました。 しかし、あえて厳しい言い方をさせていただくのなら、足が痛かろうが、腰が痛かろうが、それでも、坐り続けていくところに味わいが現れてくるのではないでしょうか。 泣きながらも、それでも坐禅を続けてこられたのは、私なりの悩みや願いがあったからです。 二十歳の頃、私は、大切な人を亡くしました。 その時、強く思いました。 「ああ、人って、本当に死んでしまうものなんだ。 だったら、なんで、人は生きなければならないのだろうか?」 若かったですね、そんな事を真剣に悩みました。 本を読みあさり、人を訪ねました。けれども、納得できなかった。 そんなときに、「こんな人のようになりたい・この人のように生きたいな」と思える曹洞宗のお坊さんに出会いました。 そして、そのお寺で坐禅をするようになりました。 幸いな事に、後々、頭を剃っていただくご縁までいただきました。 大学在学中4年間、何度も、そのお寺に参禅しておりました。 なんとかして、自分の悩みを解決したいと願い、そして、不動の自己の確立とでも言うのでしょうか、弱い自分に打ち克ちたいと考えておりました。 そんな思いで、いっぱいであった、ある日、 私は、お師匠様から「自分という塊なんぞ、ない」と言われたのです。 いや、ホント、びっくりいたしました。 なんとかして、この自分をどうにかしたいと思っていたところに、その自分がないって、言われたのですから。 きっと、まだ、機が熟していなかったんですね。 お師匠様の言葉を受け入れる事ができなかった。 「自分という固まりなんぞ、ない」と、言われた時、私はたまらず、お師匠さまの腕をつかんでしまいました。 そして、「じゃあ、これは誰の手ですか?」って、言ってしまいました。 その瞬間、私は、お師匠様に警策で打たれていました。 いかがでしょうか? 「自分という塊なんぞ、ない」という言葉、皆さんは素直に頷けますか? 最近、ご縁をいただいて3カ所で、お話をする機会がありました。 ひとつは、友人の経営する進学塾で、中学3年生の生徒さんに。 それから、年に2度お彼岸の法要で伺う、老人ホームで。 そして、弟の子供が通う保育園の4歳児クラスで。 どれも一大事をテーマにしてお話をさせていただいたのですが、話の中で、「あなたにとって、一番大事なものはなにですか」という問いかけをしました。 どうでしょう、皆さんにとって、一番大事なものは何ですか? 中学生は、自分、夢、家族、という答えが多かったです。 なかには、ませた子もいて、彼女とか、お金という答えもありました。 老人ホームでは、自分、家族、思い出の品々、お金、心という答えでした。 保育園での答えは、パパやママでした。 面白い事に、自分という答はありませんでした。 一人一人に聞いても、自分という答えは出てきませんでした。 かといって、4歳の子供に自分という意識がないわけではありません。 自分のものは主張しますし、「自分でする」と言ってきかない時もある。 察するに、この子たちにとって、自分とは、パパでありママなのではないか。 それはつまり、自分を塊として持たないからこそ、パパやママを一番大事だと言うことができるのではないか。 私たちの出発点は、ここであったはずです。 私たちは、本当は、パパやママだけでなく、この世界そのものを自分としていたはずであります。 しかし、気づかぬうちに、自分という塊にがんじがらめとなり、自分に苦しんでいる。 坐禅をしていた自分、悩みの解決を願っていた自分、自己の確立を求める自分。 正座の痛さに脂汗を流す自分。お腹が減って眠れない自分。もうだめだと泣いた自分。 あの時の私は、自分を作る事に一生懸命でした。 なんと多くの自分という塊を作り出し、執着し、隔たりを生み、比較し、結果、もだえ苦しんでいたことか。 私が禅の世界に飛び込んで、僧侶として、今あるのは、あの時、お師匠様に警策で打たれたおかげでもあります。 真剣に坐る道があることを、そして、自分という塊に執着しない心を実践し、体現していく道もある事をわからせていただきました。 坐蒲にどっかりと坐り、身を整えて、法界定印を組む。 「自分という塊」に執着することなく、頭であれこれと考えることなく、丹田で呼吸を整える。 堂々と、悠々と坐り抜く。 そこに、この世界をわがいのちとするはたらきが現れてくるでしょう。 さあ、もう一炷、坐りましょう。
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6月 30日 土を耕す

最近、目がかすんでくるようになりました。 かなりのメタボなので、もしや糖尿病かと思いながら とりあえず、目薬を求め薬局に行きました。 目薬のコーナーを見て、とても驚きました。 40歳以上の目薬のコーナーがあるんですね。 そういえば、昭和44年生まれ、今年39になります。 ああ・・・私も、もうじき40か。 先日、本山でお世話になった老師とともに、新橋と六本木。 老師曰く、 「世間は、地位や名声を求め、早く結果が出ることを望む。 だが、禅坊主は違うぞ。 土を耕す事を考えようじゃないか。 いい土を作る事だよ。種を植える前の話だ。 40なんて、まだまだだ。」 目薬をさすと、あら不思議、かすみがとれました。
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