大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
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僧侶的 いま・ここ




4月 22日 家族葬

家族葬という言葉をご存知でしょうか? 最近では、家族葬専門と看板する葬儀社もあるようです。 まぁ、ほとんどの葬儀が、家族葬とも言えなくもありませんが。 だって、故人を送るのは、その家族だから・・・ 家族葬とは、一般会葬者を呼ばないで、家族で故人をおくる葬儀の事。 故人とゆっくりお別れが出来て、しかも、葬祭費用があまりかからないのが利点だとの事。 「故人とのお別れの時間を大切にします」と「葬儀費用の負担が少ないです」が、誘い文句。 しかし、どうなのかなぁ、実際は? 親しく親しく見送るための家族葬なのかな? それとも、もしかして・・・ただ、安いからの家族葬? 【ホントに、安いのかどうかは、わかりませんが・・・】 家族に葬がついて、家族葬。 なんだか、家族という素敵な言葉が葬られた気がしませんか? 家の意識も家長制度も崩れ、核家族になったこの国。 この言葉は、やがて、家族の本質を蝕み、そして、家族そのものを葬る事になる予兆なのかもしれません。
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4月 16日 『千の風になって』に思う

『千の風になって』の歌詞について、尋ねます。 「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」という歌詞が、納得できません。 私は、お仏壇にはよくご挨拶しますし、お墓参りもします。 そこにいてくださる感じがするし、安心できる場所のように思います。 この歌詞についてどう思われますか? MIXIで、このような問いをいただいたのが、年の初め。 答えようにも、この歌をきちんと聴く機会がなく、また、買ってまで聴きたいとも思わなく・・・ 既に、4ヶ月も過ぎました。全く、無常迅速です。 遅くなって、ゴメンナサイ。 この歌は、とても人気があるようですね。 葬儀においても、記帳の時や棺に花を入れる間に流れる事が多いですよ。 きっと、歌声が心地よいし、詩情的な香りが高いからでしょう。 そして、死をイメージしやすいからでしょうか。 この歌に癒された方が多いのも確かでしょう。 故人や遺された家族が、「これでよい」と思っているのなら、 ・・・多分、それでいいのでしょう。 ただ、この歌を褒め称えているお坊さんを見ると、「あれっ?」と、思います。 アートマンを認めないのが仏の教えなのに・・・方便なのかな? さて、ご指摘の 「私のお墓の前で泣かないでください。そこに私はいません」ですが・・・ 私は、お墓の開眼供養の後、こんな話をする事があります。 「墓地を求め、お墓を建て、納骨なさいました。 この場所は、親しく親しくお会いできる所ですが・・・ ここに来なければ、故人様に会えないかというと、決して、そうではありません。 今、あなたの、そのお足元を、よくよくご覧になってください。 ひとつに繋がっている事に気づきませんか? 例えば、あなたの家、学校、会社、あなたの念ずるところ、あなたの思うところで、いつでも、繋がっているのですから」 供養とは・・・ その故人を通して、真実なる世界に気付く契機とすべきものである。 毎朝、仏壇に手を合わせるのは、ご先祖様に、生きる喜びを感謝するためだけでなく、また、死んだお父ちゃんやお母ちゃんを偲ぶためだけでもなく・・・ その奥にある、真実なる仏の世界に手を合わせ拝んでいる事にも気付く事こそが、大切である、と、私は思うのです。 いかがでしょうか? 返事が遅いうえに、こんな回答で失礼いたしました。 最後に、この歌について、ひと言。 「死んでなんかいません」という歌詞について、よくよく点検が必要だな、と強く感じております。
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4月 10日 天上天下唯我独尊

天上天下唯我独尊 私が、この言葉を知ったのは、中学の頃でした。 暴走族の黒い特攻服に、金の糸で縫いこんでありました。 燦然と輝くその文字の意味は・・・この世に怖れる事などない、己のみを高しとする態度の事だと信じておりました。 禅を知り、大学に進み、この言葉と、再び出会いました。 それは・・・お釈迦様の誕生の時のこと。 出産をひかえたマーヤー夫人が故郷に帰る旅の途中。 ルンビニー園を通りがかった時、お釈迦様は誕生しました。 そして、すぐに、四方それぞれに7歩歩き、右手で天を、左手で地を指して「天上天下唯我独尊」と宣言された、と。 大学の先生は、こう説明をしていました。 「私」の命は、この世界に一つしかないもの。だから、私の命は尊い。 そして、全ての命、その一つ一つが、同じように尊いのだ、と。 でも、赤ちゃんなのに・・・ 赤ちゃんが、歩いて話すなんてありえないよ・・・ これは、まるで暴走族みたいな論法だな、と私は感じておりました。 しかし、ご縁あって参禅を繰り返し、お釈迦様を慕う気持ちが強くなりました。 ある日、お師匠様から、次のように示されたとき、「赤ちゃんなのに」 という思いが、ふっと消え去りました。 「天上天下唯我独尊・・・ お釈迦様は、生まれてから今日まで、この事を叫び通しに叫んでるよ。 お前には、その声が、聞こえないかね?」 あなたには、この声が聞こえますか?
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4月 03日 出会いのヒント

・・・世の中、クソ坊主ばかりだね。 今まで、施行した葬式にきた坊主で、まともなのはいないよ。 ただ、衣を着て、お経を読んで、何十万も取るんだぜ。 で、アホ面下げて、威張り散らしてさ。 なんで、あんなのを「先生」って、呼ばなきゃなんないの? あいつら、人の不幸で飯を食ってるだけの最低の人間だよ。 ・・・もう、絶対に、男なんか信じない。 結婚するって、約束しての同棲だったのに。 13年よ・・・13年も一緒に暮らしたのに。私、もう35なのよ。 両親にも紹介したし 彼の田舎にも何度も行って。 それがさぁ、いきなり好きな女ができたからって、その人が妊娠したから別れてほしいって言うのよ。 だから、別れてやったわよ、あんな奴とは。 私、もう、男なんか絶対に信じない。仕事に生きるの。 ・・・あんな会社なんか、もう辞めてやる。 あの馬鹿社長なんか、俺がいなけりゃ、すぐに潰れるさ。 頭をあちこちに下げて、誰が仕事をとってきたと思ってるんだ。 朝から晩まで、休みも返上して、残業手当も昇給も、全くなしだぜ。 俺、女房と小学校のガキが一人いてさ、で、手取りで22だよ。 結局、何もしない社長一家だけが、左団扇だもんね。 もう、ホント、やってられねぇよ。 俺にはノウハウもあるし、それなりに人脈も築いてきたし、だから、独立してさ、あの馬鹿社長に、ひとあわふかせてやるよ。 誤解を恐れずに言おう。 今のあなたを取り巻く環境は あなた自身が造り出したものでもある。 そして、これから現われる出来事も、まず、あなたの心が先導する。 クソ坊主なんてと思う心に あのアホ男なんてと思う心に あの馬鹿社長なんてと思う心に そんな構えた心に そんな凝り固まった心に 新しい発見も、素晴らしい感動も、素敵な出会いも現れる事はない。 いや、その訪れに、気付くことさえもできないだろう。 道元禅師が宋で修行を終えて帰国した時、何も持ち帰らず、空手で帰国した。 ある人が禅師に尋ねた。 「あなたは、かの国から、何を得て帰られたのですか?」 禅師は、微笑みながら、こう答えたという。 「柔軟心<にゅうなんしん>かな」 不平不満、未練、愚痴・・・ 悪徳坊主に、狡賢い葬儀社。 節操のない男に、操の薄い女。 馬鹿な社長に、始末の悪い社員。 思い通りにならない事はたくさんある。 裏切られる事もあれば、足元をすくわれる事もある。 時には、阿呆と思う人にも、頭を下げなければならない事もある。 時には、わずかのお金にも、土下座をしなければならない事もある。 でも 、柔らかな爽やか場所にこそ、人は集う。 そして、穏やかな温かな場所にこそ、豊かな時間と法の潤いが現われる。 だからこそ、・・・くじけないで。 新たな出会いのヒントは、あなたの柔軟心にある。 真面目で 親切で ゆったりと 堂々として どっしり味のある そして、快活な人物 かつて、三鷹の尼僧堂の堂長老師であった長沢祖禅尼は、好きな人と題してこんな言葉を残しておられます。
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3月 23日 嫁ぐ君へ

ともにわかちあおう 喜びも悲しみも そのすべてが、いのちのはたらきである ともに感じよう 柔らかないのちの温もりを そのすべてに、我らは生かされている ともに歩もう 慈しみの道を そのすべてが、尊きいのちとの出会いである 今春、嫁ぐ妹に、この言葉を贈ります。 ・・・わかりゃあいいけど。
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3月 17日 春彼岸

かたよらない心、こだわらない心、とらわれない心 ひろく、ひろく、もっとひろく・・・これが般若心経、空のこころなり 奈良薬師寺 第127代管主高田好胤 大きな大きな心の持ち主さん。 さぁ、堂々と、悠々と、春を歩きましょう。
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3月 10日 付喪神

2年前、あなたと初めてお会いしました。 とても洗練された姿であった事を覚えております。 それから、ほぼ毎日、あなたと共に、時を過ごしました。 あなたには、何でも話す事ができました。 時間も気にせず、私に付き合ってくれましたね。 他愛無い出来事を報告し、嬉しい事や悲しい事を聞いてもらい、そして、人に言えぬ秘密をも共有しましたね。 写真やビデオの編集なども、あなたの力を借りました。 それが、こんな事になるだなんて・・・ 朝、出かける時は、いつもどおりの様子だったのに・・・ こんな事になるのなら・・・ バックアップをとっておくべきだった。 3月3日、突然、パソコンが壊れてしまいました。 不調が続いたとか、落したとかではなく、急なお別れでした。 仕事を終えて帰ると、既に、起動もできない状態でした。 パソコンクリニックの先生に連絡をとったところ・・・ ハードディスクの故障のようだから、データのバックアップは保障できないと、冷たく告げられました。 なんだか、葬式をだしてやりたい、そんな心境になりました。
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2月 27日 二つの坊主頭

坐禅会に参加されているご夫妻のお話をいたします。 お二人共に若く、二十代半ば。 ご主人は公務員であり、奥様は税理士です。 昨年の秋頃の事。 「頭が痛い」と、度々、奥様がご主人に訴えたそうです。 当座は市販の鎮痛剤を服用していたそうですが、いっこうによくならない。 それでは、ということで、ご夫婦で病院に出かけたそうであります。 そして、診察の結果、脳に腫瘍がみつかりました。 医師の話によれば・・・脳の内部ではないので、腫瘍を摘出をすれば、大丈夫だとの事。 普段から、食事や健康に気を使い、身を節して暮らす若い夫婦にとって、予期せぬ出来事でありました。また、手術するにあたり、髪の毛を落とし坊主頭にならなければならない事は、奥様にとって大きな衝撃であったようです。 聡明な奥様の事だから、命よりも髪の毛が大事だと言う事はないにしても、手術の同意書に判を押すのをためらったそうです。 しかし、数日後、奥様のご様子が一変しました。 ふさぎ込んでいた奥様が、大きな声をたてて笑ったとの事。 なんと、それは・・・ ご主人が、坊主頭になってお見舞いに来たのでした。 多くの言葉をもってしても届かない思いを、なんとかして伝えたい、と願っての坊主頭。 この日以来、奥様は落ち着きを取り戻しました。 そして、手術も成功いたしました。 二月初旬、坐禅会に、ペアルックの帽子でご夫妻がお見えになられました。 聖僧様の前で坐る二つの坊主頭に、私は手を合わせ拝みました。
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2月 14日 正念相続

3年前の夏、托鉢をしながら、四国88ヶ所のお寺を歩きました。 お遍路さんといえば白装束ですが、私は墨染めの衣に手甲脚絆に網代笠。 頭陀袋と御朱印軸を肩から下げて、錫杖と鉄鉢を持っての旅でした。 おかげさまで、多くの方とご縁を頂き、2ヶ月あまりで、願いを遂げる事ができました。また、高野山の奥の院にまで、行くことが叶いました。 先月の事、夜更けに、私の携帯電話がなりました。 四国でお世話になった御老僧がお亡くなりになられた事を告げる知らせでありました。 足摺岬をぐるっと廻ったあたりで、疲労困憊と発熱でへたり、道端に座りこんでおりました。そこに、「泊まっていかんかね」と、優しくお声をかけてくださったのが、御老僧でした。 その事を思い起こすと、今も、涙が溢れてまいります。 お言葉に甘え、数日間、お泊めいただき、多くの事を教わりました。 体調を整え、出発の朝、お茶を飲みながら、こんな話をしてくださいました。 「同じ格好をしたお遍路さんであっても・・・ これを契機に、信仰を深める人もいれば、逆に、見て歩くだけの判子鳥<はんこどり>になる人もいる。 残念な事だけど、途中で、自分の目的を見失って、判子をいくつ集めただの、何回、四国を回っただのと競争して、自慢をしよる。 あれじゃあ、スタンプラリーやね。 あんたが最初に描いた願いを持ち続ける工夫、一念を相続する工夫を忘れちゃあいけんよ。」 しわがれ声で、朴訥と話す御老僧のお言葉が身に染み、心が震える思いをしたのを覚えております。 参拝したお寺の御朱印だけがその証であり、目に見える結果であるため、ともすれば、「あと、いくつ」と数えてしまう自分を深く反省いたしました。 一念を相続する工夫を正念相続とも言います。 正しい願いを持っていても、それを持ち続ける強い覚悟と深い工夫がなければ、試練に押しつぶされたり、辛酸をなめて見失ったりする事になるでしょう。 しかし、挫折や失敗を味わう事になったとしても、それでもなお、そこから、正念相続していく事こそが、私たちの人生をより深く、より豊かに、そして、より高めていく事になると思います。 「工夫を忘れたらいけんよ」・・・御老僧の言葉が響きます。
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