大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
152
archive,paged,category,category-souryo,category-152,paged-28,category-paged-28,ajax_fade,page_not_loaded,,vertical_menu_enabled,side_area_uncovered_from_content,qode-child-theme-ver-1.0.0,qode-theme-ver-7.2,wpb-js-composer js-comp-ver-5.0.1,vc_responsive

僧侶的 いま・ここ




2月 04日 響く声

某霊園にて、知人の墓前でのお勤めを終えた時、すぐ傍で、大きな読経の声が響いてきました。 大きな鏧子<けいす>の音と、何人もの僧侶が、木魚にあわせて「大悲心陀羅尼」を読む声が。 けれども、そんな人の気配はありません。 不思議に思いながら、声のする方に近づいてみると・・・ 初老の男性が、お墓の前に額ずいて、手を合わせておられました。 その横には、なんと、ラジカセが。 私の視線に気付いたのか、男性が振り返って言いました。 「これ、カセットテープなんですよ。今日は、女房の命日なんで。 坊さんを呼んで、法事をしようと思ったけど、お布施が高くって。 管理事務所に聞いたんだけど、5萬も6萬も払うのは、ちょっとね。 それで、考えたんですよ、結局、テープでも同じお経だって。 これなら、2千円位だったし、いつでも、好きな時に使えるなって」 なるほどな、と感心しつつ、その男性に申し出ました。 「ああ、それは、いい事を思いつきましたね。 でもね、せっかくの奥様のご命日だから・・・ここを、私が通りがかったのもご縁だから、よろしければ、ご回向させていただきますよ。 けど、カセットより、上手に出来るかどうかは、わからんけれど・・・」 「えっ、でも、お布施が・・・」と、ためらう男性。 「銭金だけで生きているわけじゃないから、いいんですよ」と、応えたところ・・・ 「では、お願いいたします」と。 そして、男性と二人で、奥様の13回忌のお勤めをさせていただきました。 もちろん、カセットテープは流しませんでした。 お勤めの後、しばらくお話をして、帰り際に、一言、付け加えました。 「テープも素晴らしいけれども、ご自身でお経を覚えたらいかがですか? そんな心持になれたら、きっと、佛縁が深まると思いますよ」 男性は、にこやかに、頷いてくれました。 もちろん、佛教は、金持ちのためだけの教えではない。 もちろん、佛教は、エリートのためだけの教えではない。 志半ばでのリストラや年金暮らし。 子供を抱え、介護の親を抱え、そして、借金も抱える。 株だ投資だと騒いでも、結局、甘い汁は多くはない。 みんながみんな、ベンツに乗れる生活はしていないのだ。 それでも、この現実の、この暮らしの中で、人は、よりよきものを、より美しきものを、そして、より尊きものを希う。 そんな時、貨幣を基準にして、その教えを敷衍する契機を逃していると・・・ カセットで用が足りる日がくるのも、遠くないかもしれない。
続きを読む


1月 31日 君に

君も見えていただろう、君の家族の姿を。 あの日から、一睡も出来ずに、ひたすら考え悩み続ける家族の姿を。 「何故、君がこんな事になったのだろう?」 「どうして、君がこんな事をしたのだろう?」 気丈に振舞っていたお父さん。 目を真っ赤に泣きはらしたお姉さん。 必死に歯を食いしばっていたお兄さん。 そして・・・棺の蓋を閉める事を拒むお母さん。 君の位牌を持つお父さん。 君の写真を抱くお母さん。 君への花束を抱えるお姉さん。 火葬の炉の蓋がゆっくりと閉まった時・・・ 耐えていたお父さんは 君の名前を大きく叫び、その場に倒れこんだ。 お姉さんは、絶叫と嗚咽を繰り返しながら、肩を落とした。 お兄さんは、声を詰まらせ、落ちてくる涙を拭こうともしなかった。 お母さんは、その閉まる蓋の中に・・・飛び込もうとした。 家族のそんな姿を、君は想像できていただろうか? 深く深く家族から愛されていることに気付いていなかったか? しばらくの間、君の大切な家族から笑顔が消える事になるだろう。 そして、君の大事な家族に、答えのない大きな苦悩が襲う事だろう。 君には自死を選ばねばならなかった理由が、あるのだろう。 いや、そうするより、他に、手立てがなかったのかもしれない。 しかし・・・そうだとしても・・・、君は、まだ、二十歳だ。 「先立つ不幸をお許しください」という台詞は、 愛する者のために、守る者のために、命を賭す者の言葉だ。 決して、自分のためだけに、命を断つ者の言葉ではない。 咽びながら君のお骨を抱えるお父さん。 泣きながら君の位牌を抱くお母さん。 力を込めて君の写真を持つお兄さん。 涙をとめる事のできないお姉さん。 君は、本当に、愛されていたんだよ。 君は、今でも、愛されているんだよ。 だから、今度は・・・君が家族を愛する番だ。 大きな荷物は、ここに置いて、さぁ、もう一度。 さぁ、もう一度、父の子となり、母の子となり、姉の弟となり、兄の弟となり・・・君が君となり・・・そして・・・ 大丈夫、安心しなよ。 みんな、多かれ少なかれ、抱えているんだ。 大丈夫、君の家族なら、大丈夫だよ。
続きを読む


1月 26日 茶禅一味

「失礼ですが、禅宗のお坊さんですか?」 先日、名古屋へ向かう新幹線の中、隣あわせた典雅なご婦人から声をかけられました。 「私は、お茶を教えておりますが、茶禅一味の意味がわかりません。 本を読んだり、多くの先生にもお尋ねしたりもしました。 そして、いくつかの坐禅会にも参加してみたり、そこで出会った和尚様にも伺ったりもしましたが・・・未だ、得心がいきません。 長い間、茶禅一味の事が気になっていて・・・よろしければ、教えていただけませんでしょうか?」 そのご婦人のお顔や話しぶり、振る舞いやお姿から、ああ、この人なら大丈夫だと、感じながら、お話いたしました。 「先生は、お茶で一番大切だと思う事は何ですか?」 「もてなしの心ではないか、と思います。主人が客をもてなす心が、作法につながっていったのではないか、と。」 「でも、お茶は主人ばかりの作法ではないでしょう。客にも作法がありますよね。では、主人にも客にも大切な事は何でしょうか?」 「う~ん、やはり、作法でしょうか・・・」 「では、坐禅を体験されて、何か思う事はありましたか?」 「いえ、ただ、体が痛いばかりで・・・それと、あの棒が怖くて・・・」 「坐禅を指導された方は、何が一番大切だと言われましたか?」 「・・・」 大学四年間、私は、佛縁をつけてくださった慈恩師の尼僧様に勧められて、遠州流のお茶を学びました。 その先生が、「お茶は、●●ですよ」と教えてくださいました。 ●●が乱れれば、お点前も粗雑なものになってしまいますよね。 坐禅も、全く同じです。坐禅は、●●です。 坐禅は、身を整え、呼吸を整え、心を整えるものです。 今、書道を学んでおりますが、その先生も、「書は●●だ」とおっしゃいます。 剣禅一如という言葉もありますが、剣道も●●ですね。 「では、私たちが、今、こうして話しているのはなぜですか?」 「生きているからです。」 「その通り、だからこそ、●●が大切なのです。 禅も●●、茶も●●。 そして、その●●を深めていく事によって、現れてくる世界がある。 出来合いの思想や因習や常識に誤魔化されない自由な眼が、備わってくる。 このことが、茶禅一味と、私は思っております。いかがでしょうか?」 ・・・素直に受け止めていただけたようで、喜んでいただけました。 ちなみに、●●は、漢字ニ文字が入ります。 わかってもコメント欄には、書かないでくださいね。
続きを読む


1月 19日 プロ

武蔵野大学で開催されたシンポジュウム『葬儀を考える』に行きました。 パネリストは、浄土真宗のご僧侶お二人と、葬祭関係の専門学校の講師の方、そして、碑文谷先生でした。 残念ながら、深い議論には、至りませんでした。 しかしながら、ひとつ、気になる言葉がありました。 それは、専門学校の講師の方の発言でした。 「葬儀社は葬儀のプロです。専門学校の講師は、講師のプロです。 では、僧侶の方は、いったい、何のプロなんでしょうか? 私は、長い間、葬祭に関わる仕事をしてきましたが、僧侶が何のプロなのか、未だにわかりません」 ・・・さてさて、僧侶は何のプロなのでしょうか? ひとまず、葬儀という場に限定すれば、僧侶の役割は導師です。 至心に懺悔の文を唱え、法性の水を濯ぎ、菩薩の大戒を授け、引導を渡す。 〔浄土真宗では、引導を渡さないそうです〕 かつては、人天の大導師という言葉もありましたが・・・ お布施の多寡で、葬家への対応が変わり、開式の時間に遅れ、お経を間違え、戒名は誤字、で、威張り散らすようでは・・・葬儀の場から、僧侶が締め出される日も、遠くはないでしょう。 もちろん、葬式法事ばかりが、僧侶の「仕事」ではないはずですが。 「じゃあ、お前は、何のプロなのか?」 私は、布教伝道のプロでありたい、と答えます。 ・・・まだまだ、道の茫々たる感は否めませんが、この学びが、この体験が、この出会いが、この今が、布教伝道のためにあると信じております。 葬儀も、大切な布教伝道の場。
続きを読む


1月 13日 情緒

わが名をよびて わが名をよびてたまはれ いとけなき日のよび名もて わが名をよびてたまはれ あはれ いまひとたび わがいとけなき日の名をよびてたまはれ 風のふく日のとほくより わが名をよびてたまはれ 庭のかたへに茶の花のさきのこる日の ちらちらと雪のふる日のとほくより わが名をよびてたまはれ よびてたまはれ わが名をよびてたまはれ 三好達治 『花筐』 ・・・この詩は、私を出家に導いてくれた尼僧様に教えて頂きました。
続きを読む
 

12月 31日 識羞

大学生の頃、私は、生花の卸市場でアルバイトをしていました。 日・水・金曜日と週に3日、22時から翌朝の6時まで働いていました。 トラックの荷降ろしの手伝い、せりのための種類や等級別に仕分ける事が仕事でした。3000から5000のダンボールを、汗だくになりながら、2人のバイト仲間でさばいてました。 当時は、バブルの最盛期でした。 皆さんの中に、一本、壱万円のバラを覚えている方はあるでしょうか? クリスマスの時期に、話題性もあり、洒落っ気もあり、また、マスコミにも取り上げられ、多くの人が求めたそうです。 そのバラの原価は10円以下でした。 それも、才覚といえば才覚になるのでしょうけれども・・・ 毎朝、自転車に乗り、出勤する50すぎのおっさん。 必ず、自販機の小銭口に指を突っ込み、とり忘れを狙う。 そこに、どれだけの夢があるのだろうか? 電車の中で爪を切っている、OLもどき。今じゃ、化粧は当たり前。 高校の制服を着たままのガキが、車内で抱き合い、愛を語らう姿。 が、混んだ車内に妊婦が乗った時、赤い髪をしたギターケースを持った男が席を譲った。 この彼の歌ならば、聴けるだろう。 保険を払えず、病院に行けぬ人。 寒空の下、自転車にリヤカーをつけて、空き缶を奪い合う方々。 格差社会、金はあるところに集まるみたい。 携帯の支払いに5万を払う生活を送りながら、わが子の給食費を払わぬ親。 コンビニの前に座りこんで、買った弁当を食べる小学生。 運動会では、校門の前でピザの宅配を待つ。 権利と主張の声ばかり・・・負けてはならぬ、負けてはならぬ・・・ 先日、お通夜の後、小学生の子がかけよってきた。 「おばあちゃんの事、お願いします。お世話になります」と礼をされた。 私は、・・・黙って、彼を拝んだ。 廃仏毀釈の嵐が吹き荒れた明治の頃、佛教の復興に尽力された大恩人のひとりに、山岡鉄舟大居士がいます。鉄舟居士の逸話のひとつ。 ある日、知人がやってきて、鉄舟に言いました。 「鉄舟さん、そんなに神仏を信じたって、しようがないじゃないですか。私は、毎朝、神社の鳥居で立ち小便をしてきますが、全く、罰などあたりませんよ」 鉄舟は、静かにこう答えたそうです。 「すでに罰は当たっているよ。立ち小便と言うのは、犬や猫がする事。 武士が鳥居に立ち小便をするとは、既に、あんたは犬や猫になりさがっている。それが、何よりの罰だ。」 賽銭箱に小銭を投げ入れて、大きな幸せを願う元旦がやってくる。 家内安全、家庭円満、交通安全、無病息災、安産祈願、合格祈願、良縁祈願、大願成就・・・本当の幸せはどこにあるのか? 仏神は貴し、仏神をたのまず 武蔵 独行道
続きを読む


12月 27日 写真

棺の中の顔を携帯で写す人もいる世の中なれど・・・ 通夜や葬儀の最中に、写真を撮って回るカメラマン。 葬儀社さんのサービスなのか、提携の業者さんなのか・・・ 導師入場でパシャリ、法話をすりゃパシャリ、引導を渡しゃあパシャリ・・・ すすり泣く声を聞けば移動してパシャリ、焼香の時は待ち構えてパシャリ、棺に花を入れる時は大忙しだけどパシャリ、霊柩車に運ぶまでパシャリパシャリ・・・ しかし、いつ、この写真を見るのでしょうか? この写真を見て、あの時はいっぱい泣いたねって? 葬式も結婚式も運動会も演芸会も、みんな同じスタンス。 久しぶりに会う親戚と写真を撮るのなら、控え室で、と思う私は古い人間なんでしょうね。 死への畏怖や畏敬の念もどこへやら・・・
続きを読む


12月 16日 帰らぬ人

亡くなったと知らせを受けても、まだ、信じられませんでした。 駆けつけ、横たわる姿をみても、まだ、信じられませんでした。 遠くの親族や多くの友人が来ても、まだ、信じられませんでした。 涙はでるけれど、死んだとは思えなくて・・・ 悲しくて切ないけれど、また、起きてきそうで・・・ ゆっくりと目を開けて、私の名前を呼んでくれそうで・・・ もっと、そばにいて、もっと、話をしとけばよかったと、思いました。 お通夜が終わり、葬儀を終えました。 お棺に、いっぱいのお花と好きだったお酒と煙草、そして、愛用していた杖と帽子、お気に入りの写真と本、そして、私の子供の書いた手紙をいれました。 それでも、なんだか、父が死んだとは思えませんでした。 火葬場で、炉に入り、蓋がゆっくりと閉まった時、なぜだか、「帰らぬ人」という言葉が浮かびました。 その時、はじめて、身が震えるほど泣いてしまいました。 ああ、父が死んだんたと、私のお父さんが死んだんだと・・・ 本当に、馬鹿な娘でした。 本当に、わがままな娘でした。・・・ごめんなさい。 お骨になった父の姿を見た時、はじめて、寂しさを感じました。 どんなに泣いても、どんなにお金を積んでも、誰に頼んでも、何をしても・・・ 父は帰ってきません。 お骨を骨壷に収めた後、お話をしてくれましたね。 移り変わっていく事、無常の意味、そして、いま・ここ、と。 すごく、心に響きました。すこし、楽になりました。 また、電話させていただいてもよろしいですか? また、はなしを聞いてください。
続きを読む


12月 10日 省察

若し、智慧あれば則ち貪著<とんぢゃく>なし。 常に、自ら省察して失すること有らしめざれ。 『遺教経』 【意訳】 もし、智慧があれば、おのずから貪り執著することがない。 だからこそ、常に自らを省察して、智慧を失わないようにしなさい。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 苦しみの日々 哀しみの日々       茨木のり子 苦しみの日々 哀しみの日々 それはひとを少しは深くするだろう わずか五ミリぐらいではあろうけれど さなかには心臓も凍結 息をするのさえ難しいほどだが なんとか通り抜けたとき 初めて気付く あれはみずからを養うに足る時間であったと 少しずつ 少しずつ深くなってゆけば やがては解るようになるだろう 人の痛みも 石榴のような傷口も わかったとてどうなるものでもないけれど (わからないよりはいいだろう) 苦しみに負けて 哀しみにひしがれて とげとげのサボテンと化してしまうのは ごめんである 受けとめるしかない 折々の小さな刺や 病でさえも はしゃぎや 浮かれのなかには 自己省察の要素は皆無なのだから 詩集 『依りかからず』より ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ 「俺は、もう、ダメだ」や「私は、これで、おしまいよ」は、省察ではないと、思うのです。 ダメやおしまいから、苦しくてももう一度、辛くても今一度、起き上がる事こそが、本当の省察ではないかと、信じております。
続きを読む