大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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僧侶的 いま・ここ




5月 12日 方便

方便とは、 梵語ウパーヤ の漢訳。 近づく、 到達するの意。 巧みな方法を用いて衆生を導くこと、 真実の法に導くための仮のてだてとしての教え、 巧みな教化、 差別<しゃべつ>の事象を知って衆生を利益<りやく>する智慧などの意味があります。 方は正しい、便は手段という意から、方便。…

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5月 08日 あたりまえの事

ご葬儀を終えて、設斎での事。 喪主:「本当にありがとうございました。 とても、素晴らしいお経で、家族も親戚も喜んでおります」 愚僧:「お経の意味がおわかりになられましたか?」 喪主:「はい、何にもわかりませんでした。 でも、そのお経の時間が、素晴らしかったです。」 愚僧:「?」 …

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4月 28日 言の葉 〔8〕

佛、沙門に問う「人の命、いくばくの間にか在る」 対えていわく「数日の間なり」 佛いわく「汝、いまだ道を知らず」 また一の沙門に問う「人の命、いくばくの間にか在る」 対えていわく「飯食の間なり」 佛いわく「汝、いまだ道を知らず」 また一の沙門に問う「人の命、いくばくの間にか在る」 …

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4月 22日 生きていればこそ

生きていればこそ 腰が痛い 生きていればこそ 肩がこる 生きていればこそ 歯がうずく 生きていればこそ 体調がすぐれない 生きていればこそ 難儀だ 生きていればこそ 泣く事もある 生きていればこそ 死にたくもなる 生きていればこそ 思い通りにいかない 「生きていてもつまらないから、死んでしまいたい」 「どうせ辛い面倒な人生なら さっさと死んでしまいたい」 しかし、それは自死の理由にはならない。 それを理由とするのなら、それは、あなたが真剣に生きていないということだ。 あなたが大切な人とお別れしたのも 生きていればこそ あなたが何よりも大切なその子と死に別れたのも 生きていればこそ 何をするにも 何を思うも 生きていればこそ 生きていればこそ 生きていればこそ 子供を生きかえらせたいと願う、キサーゴータミーのお話。 キサーゴータミーは、我が子を病気のために死なせてしまいました。 彼女は、幼くして夭折した子供が可哀想でなりません。 子供を火葬にするため運び去ろうとする親族を引き止めて言いました。 「待ってください。私は、息子を生きかえらせる薬を探してきます」 彼女は家を飛び出し、村中を尋ね歩きました。 「誰か教えてください。私の子供が死んでしまいました。 誰か助けてください。私の子供を生きかえる薬を下さい」 「死んだ人を生き返らせる薬などあるはずないよ」 と、多くの人が彼女を諭しますが、彼女はあきらめきれません。 「では、お釈迦さまに相談してみなさい」と、ある人が言いました。 キサーゴータミーは、お釈迦様に泣きつき懇願しました。 「どうぞ、死んだ子供を生きかえらせる薬をください」 「では、その薬を作ってあげるから白い芥子の実を貰ってきなさい」 「わかりました。すぐに参ります。白い芥子の実は、どこから貰ってくればいいですか?」 すると、お釈迦さまは、言いました。 「死者を出したことのない家から芥子の実を貰ってきなさい」 キサーゴータミーは喜び勇んで芥子の実を求めて出かけていきました。 彼女は次々と家々を尋ね歩きます、必死に、一途に、子供のために。 しかし、死んだ人のいない家を探しだす事はできませんでした。 やがて、彼女は気付きました。 「死んだ人のいない家などないんだ」と。 戻ってきたキサーゴータミーにお釈迦さまが語りかけます。 「芥子の実を手に入れることができましたか?」 「いいえ、ありませんでした」 「キサ-ゴ-タミ-よ、あなたは自分の子供だけが死んだと思っていましたね。しかし、生あるものは必ず死があるのです。そして、死んだ者を生きかえらせることなどできないのです」 楽しい思い出に苦しむのも 生きていればこそ 真実を知り得る事ができるのも 生きていればこそ 今のあなたに・・・ 私も生きる事を素晴らしいと思えない者であったひとりです。 そして、生きる事は悲しい事でもあると知っている者のひとりです。 嘆き悲しむ今のあなたに、完全な救いの言葉などありません。 何をもってしても、今のあなたを笑わせる事などできないでしょう。 しかし、また、いつでも、どうぞ。 そして、お大切に。 生きていればこそ 生きていればこそ
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4月 15日 三つの化粧法

今日は、「三つの化粧法」というタイトルでお話させていただきます。 人間は誰しも、程度の差こそあれ、自分の顔に自信を持っているはずです。 なぜなら、このお顔やそのお顔をさらして生きているのですから、自信が無ければ、恥ずかしくて、外も歩けません。 私などは・・・全く、お話にも値しませ…

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4月 06日 言の葉 〔7〕

過ぎ去れるを 追うことなかれ。 いまだ来たらざるを 念<ねが>うことなかれ。 過去、そはすでに 捨てられたり。 未来、そはいまだ 到らざるなり。 されば、ただ現在するところのものを、 そのところにおいて よく観察すべし。 揺らぐことなく、動ずることなく、 そを見きわめ、そを実践すべし。 ただ今日まさに作<な>すべきことを 熱心になせ。 たれか明日 死のあることを知らんや。 まことに、かの死の大軍と、 遇<あ>わずというは、あることなし。 よく、かくのごとく見きわめたるものは、 心をこめ、昼夜おこたることなく 実践せん。 かくのごときを、一夜賢者といい、 また、心しずまれる者とはいうなり。 『一夜賢者の偈』 増谷文雄 訳
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3月 30日 豈歩亦歩走亦走

10年も前にもなりますが、ある会社の入社式でお話したものです。 当時は、まだ、20代。 今、読み返すと、よくお叱りを受けなかったと思います。 若気の至り、世間知らず・・・慙愧にたえません。 しかし、その一方で、あまり成長していないのも、また、事実。 自戒の意味も込めて、掲載します。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ それでは、皆さん、合掌をお願いいたします。 今、私が、お辞儀をして頭を下げましたら、皆さんも、全く同じようにされましたね。私は、合掌をお願いいたしますと、申し上げましたが、礼をしてくださいとは、言いませんでしたよ。 なぜでしょう? 礼をしてくださいと言われなくても、礼をする。お互いが拝みあう、その心。 これを、唯佛与佛<ゆいぶつよぶつ>と言います。 ただ、佛と佛、私も佛であり、皆さんお一人お一人、全て、佛様であるという世界の事です。 ご自分が佛様だと言われて、勝手に殺すなと、思う方もいらっしゃるかもしれませんが、禅宗では、亡くなられた方も生きております方も、斉しく佛様と見ます。 私自身は、生きている方の佛様を大切にする事が、佛の教えだと思っております。 生きている佛様が、ご飯を食べ、ねんねして、泣いたり笑ったり、好きだ嫌いだと騒いで、損した得したと日送りをする。なかには、短気な佛様もいれば、うじうじした煮え切らない佛様もいらっしゃる。ぼんやりした佛様もいれば、如才ない佛様や要領のいい佛様もいらっしゃいますね。 佛様のことを、別名、如来とも言います。釈迦如来、阿弥陀如来、大日如来、と。如来は、女の口から来た、と書きますね。何をして、どこの口から来たかは、皆さんの方が、僧侶の私よりもご修業されていることと思いますが・・・ とんちで有名な一休さん、臨済宗のど偉いお坊さんですが、こんなふうに詠われております。 女をば 法<のり>の御くらと 言うぞげに 釈迦も達磨も ひょいひょいと生む お釈迦さまも達磨さまも、そして、皆さんも同じ口から出てきた佛様であります。その事実が、お釈迦さまや達磨さまと同じ世界を生きる事が出来る何よりの証拠であると思うのです。 だからこそ、皆さん、お一人お一人を大切にしなければならない。 だからこそ、自分で自分を傷つけるような事はしてはならないし、其処がわかれば、同じ佛様を傷つけるような事は、自ずと出来なくなってくるでしょう。 さて、本日、皆さんは、この会社に入社されました。 自ら望んでこの会社を選択した方もいれば、仕方なく入社した方もいらっしゃることでしょう。いずれにしろ、ひとまず、おめでとうございます、と申し上げます。 ひとまず、と言いましたのは、これから先、皆さんはご自身の責任で生きていくことになるからです。今までは、親御さんの下で育てられてきたのですが、今日からは、自分で稼ぎ生きていく事が求められますね。厳しいですよ。なかなか、世間は辛いものであります。 しかし、これは、独立の時でもあります。何よりのチャンスでもあるのです。 お釈迦さまは、人生は苦なり、とお示しなられました。 生きるという事は苦しいことだよ、と。この苦の正体は何かと言うと、それは、思いどおりにならない、という事であります。 例えば、どんなに好きで好きで一緒になったとしても、花の色は変化していきますし、何かのはずみで、片一方が死んでしまう事だってあります。死んでくれりゃ、まだ楽なものの・・・ある日突然、知らない男を目の前に連れてこられた日には、・・・私も、泣かされました。 どうでしょうか、皆さんは?思い当たることはありませんか? 何の因果か、イヤな奴の顔を毎日見なけりゃならない事もありますし、そいつが、自分の上司だとしたら、これはもう地獄ですね。常識も思いやりもない人から、毎日責めたてられるのは、耐え難いものであります。 明日から、皆さんは新人研修を受けて、各部署に配属されるそうですね。これも、また、思いどおりにいく人は少ないのではないでしょうか。地元の企業という理由で、この会社を選んだとしても、明日から中国に行けなんていう辞令を受ける事になるかもしれません。 私が前にいたお寺もそうでした。30くらい部署があったのですが、配属は本人の希望とは関係なく、人事の方が、勝手に、いや、よく考えられてお決めになります。私なども、そこに、何年かいたのですが、結局、行きたいところにはいけませんでした。 まぁ、現実には、力のしがらみや贔屓があるようでしたね。 人生は苦なり、という言葉を俟たずとも、現実の暮らしにおいては、思いどおりにならない事はよくあることです。日々の日送り、家族の事、友人関係、恋人、そして、会社もまた然りであります。 自分の思いどおりにはならない事がある、いや、むしろ、思いどおりにならない事だらけだ、と、今日の出発点に覚悟しておいてもいいでしょう。 先ほど、皆さんは佛様だと、申し上げました。 では、佛様は、この思いどおりにならない世の中を、どのように、受け止められているのでしょうか? お釈迦さま、この方は、釈迦族の王子として生を享けられました。 季節ごとのお城を持ち、美しい女性に囲まれ、一見すれば、不自由のない暮らしをされておられましたが、29歳で出家されました。3人の妻と、一人の息子がいたのですが、それを棄てて、真実を求められました。水の中で息を止める行や断食、眠らない行など、まさに、その身が骨と皮になるまで苦行を続けられました。しかし、そんな苦行は真実の道ではないと気付き、坐禅によってお悟りをひらかれました。35歳の時だと伝えられております。お悟りをひらかれたお釈迦さまは、その教えを広める事に、一人でも多くの人を救う事に、その一生を託されました。 お悟りをひらかれたお釈迦さまは幸せで、恵まれた楽しい日々を送ったように思われる人が意外と多いのですが、実は、世間的な価値観で見ると、そのご生涯は苦難の連続でした。布教の旅の途中、何度も殺害されそうになりました。また、その出身の釈迦族を滅ぼされるという憂き目にも遭われております。決して、その一生は平坦なものではなかったのです。 お悟りをひらかれる前も苦の連続であり、お悟りをひらかれてからも、押し寄せてくるものは、実は、苦であったのです。 この事こそを、拝まなければならないと、私は思います。 お悟りをひらかれてからのお釈迦さまは、押し寄せてくる苦を、安らかに受け止められておられます。安忍<あんにん>、安らかに忍ぶ。 私たちは、何かイヤな事がおきたり、思いどおりにいかなかったりすると、そこで、人のせいにしたり、怒ったりしてしまいます。 いわば、苦の対象にひきずられてしまうのですね。 対象にひきずられない事、それが、安忍であり、本当の自由な人であります。自由な人になる方法、つまり、苦からの解放は、心の持ち方にあると言ってもいいでしょう。ひとつひとつの出来事を己の修行と受け止め、安らかに安らかに受け止めていく世界。 たとえ、希望しない部署に配属されても、そこを、自らの大切な場としていく事。いかなる時と場合においても、自らが自由であるならば、そこが真実の場所となる。随処作主 立処皆真<随処に主となれば、立処、皆、真なり>という言の葉。ひとつ、覚えておいてください。 自由な人とは、苦にひきずられない人です。 はじめに紹介した一休さんに、こんな逸話がございます。 一休さんが亡くなる時に、遺書を書いて弟子に託しました。 「この遺書は、この先、お寺が経済的に行き詰まって、どうしようもなくなった時に読みなさい。とっておきの方法が書いてあるから。それまでは、決して、読んではならぬ」、と。 幾年か経て、やはり、お寺が経済的にも立ち行かなくなったそうです。 そこで、お弟子さんたち、一休さんの遺言どおり、遺書を・・・。 そこには、たった一言、このように書かれてました。 「心配するな。なんとかなる」 おわかりでしょうか?皆さん、一休さんのお心が。 これから、社会人となるにあたって、世間の基準や価値観だけでなく、この自由な心がある事を忘れないで頂きたいのです。そして、その心は、決して、遠くにあるのではなく、ここにあるという事。その心になる方法は、決して、小難しいものではなく、あなた自身の生き方ひとつである、という事を。 こちらに、今日のお話のタイトルが書いてあります。 【豈歩亦歩走亦走】、読める方いらっしゃいますか? これは、あに歩かばまた歩み、走らばまた走らんや、と読みます。 『槐安国語』という、禅の書物にある言の葉です。どういう意味かと申しますと、多くの人が歩くからという理由で自分も歩き、多くの人が走るからという理由で自分も走るようなことで、何の真実が掴めるか、という厳しい言葉であります。 世間の目、会社の目を気にして、一番大切な自分自身を置き忘れていては、せっかく、この世に生まれたのに、実に、もったいないですよね。 この世に生まれた甲斐、この世に生まれたこその真実を大切にしなければ、佛のこの身が泣いてしまいます。 現在、この国の経済状況は、たいへん厳しいものです。長い不況が続いております。こんな事を言うと、後で叱られるかもしれませんが、皆さんが入社するこの会社とて、必ず潰れないという保証は、どこにもありません。もっとはっきり申し上げれば、いつ潰れてもおかしくはない。 だからこそ、皆さんは、会社のみに依存するのではなく、独立した歩みを始めなければならないと思うのです。その歩みが出来る人の多い会社こそが、これからの時代に生き残れるのではないでしょうか。 その独立した歩みというのは、己勝手な、わがままな、その場限りの退廃的なものでは、決して、ありません。皆さん自身が佛様であり、そして、皆さんの周りの人全ても佛様であるという認識を基調とした歩みであります。傷つけたり、傷つけられたりしない世界であります。 そして、この先、世の中の嘘に騙されることなく、たとえ、社会の仕組みに取り込まれたとしても、潰されたりすることなく、真実の歩みをしていただきたい、と願っております。 本日の入社式は、皆さんの人生の出発でもあります。 どうぞ、苦にひきずられない、何ものにも縛られない、自由な歩み、佛様になっていく歩みを期待いたします。 ご清聴、ありがとうございます。
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3月 25日 言の葉 〔6〕

一、心に物なき時は 心、広く 体、泰<やすらか>なり 一、心に我儘<わがまま>なき時は愛敬失わず 一、心に欲なき時は義理を行う 一、心に私なき時は疑うことなし 一、心に驕りなき時は人を教う 一、心に誤りなき時は人を畏れず 一、心に邪見なき時は人を育つる 一、心に貪りなき時は人に諂<へつらう>うことなし 一、心に怒りなき時は言葉和らかなり 一、心に堪忍ある時は事を調う 一、心に曇りなき時は心静かなり 一、心に勇みある時は悔やむことなし 一、心賤しからざる時は願い好まず 一、心に孝行ある時は忠節厚し 一、心に自慢なき時は人の善を知り 一、心に迷いなき時は人を咎めず 上杉謙信 『宝在心』 春は別れと出会いの時節。 ご用心、ご用心。
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3月 18日 琴の喩

世の中の苦しみや人の悲しみを、一身に背負い、その地位を捨て、三人の妻を捨て、たった一人の我が子をも捨てて、お釈迦さまは沙門となりました。 師とするに足る人もいず、苦行の中に、真実を見出そうとされました。 断食や呼吸の抑制、不眠、不座・・・その極限まで自分の肉体を苛む事で魂の浄化をはかり、完全なる悟りと安心を求められました。 その小食のために私の肢の節は草の節のようになった。 その小食のために私の肋骨は腐食し破れてしまった。 私は腹の皮に触れようとすると脊柱をとらえてしまい、 脊柱に触れようとすると腹の皮をとらえてしまった。 ・・・六年間の苦行をしたお姿が、パキスタンのラホール美術館に釈迦苦行像としてあります。 「琴は強くしめれば糸が切れ、弱くても音が悪い。 琴は、糸を中ほどに締めて、初めて音色がよい。」 ある日、こんな歌がお釈迦さまの耳に届いたそうです。 お釈迦さまには、この世俗の歌が天啓であり、契機となりました。 苦行だけでは、何の解決にもならない、と。 この身あってこその、この世であるのだ、と。
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3月 10日 同じもの

お釈迦さまが皇太子としてお城にいた時、季節ごとの宮殿を与えられ、多くの美女に囲まれて、毎日を過ごしていたと伝えられております。 その裕福な暮らしは、現在の日本と似ているとも言えるでしょう。 ある日、お釈迦さま供の者を連れて、東門から出ようとした時、腰が曲がり、杖にすがってよろけ歩く者の姿を見ました・・・ 「あれは何か?」と、お釈迦さまは、従者に尋ねました。 「老人であります」と、従者は答えました。 「老人とは何か?」 「はい、人は、誰でも年を取るとあのような姿になります」 「従者よ、お前も老人になるのか?」 「はい、さようでございます」 「この私もやがては老人になるのか?」 「はい、さようでございます」 ある日、南門から出ようとした時、病に苦しむ者の姿を見ました・・・ 「あれは何か?」 「病人であります」 「病人とは何か?」 「はい、人は、誰でも病にかかるとあのような姿になります」 「従者よ、お前も病人になるのか?」 「はい、さようでございます」 「この私もやがては病人になるのか?」 「はい、さようでございます」 ある日、西門から出ようとした時、葬送の列に会いました・・・ 「あれは何か?」 「死人であります」 「死人とは何か?」 「はい、人は、誰でも命が尽きるととあのような姿になります」 「従者よ、お前も死人になるのか?」 「はい、さようでございます」 「この私もやがては死人になるのか?」 「はい、さようでございます」 ある日、北門から出ようとした時、道を求めて托鉢をする修行者の姿に会いました・・・ 「あれは何か?」 「沙門であります」 「沙門とは何か?」 「はい、人は、この世の不条理さに気付いた時、己を捨て真実のいのちの在りかを探すものです」 「従者よ、お前も沙門になるのか?」 「いいえ、これは、選ばれし者のいばらの道でございます」 「この私もやがては沙門になるのか?」 「・・・・・」 この東西南北の門のくだりを、四門出遊といいます。 お釈迦さまのご出家の因縁のひとつであります。 生老病死の苦しみは、いつの時代においても、人が人として生きる限り不変のものです。なぜなら、時代は遷り変わっても、人間の本質は、変わらないから。一日生きれば、一日老いるし、転べば痛いものです。 お釈迦さまは、私たちと全く同じものを見ました。 その全く同じものを見て、真実の生き方を求められました。 何、不自由ない暮らしの中で・・・ 他者の悲しみを我が悲しみとして・・・ この世の苦しみを我が苦しみとして・・・ 私たちは、本当に大切な人の死でさえ、思い出という美しい言葉ひとつで解決をはかり、その真実から眼をそらしているのかもしれません。 本当は、大切な人のその最後の姿から、感じ取る事や学び取る事をしなければならないのに。 今回の旅で・・・ お釈迦さまの教えを学ぶだけでなく、そのご生涯を学ぶ事によって、より信仰を深め、智慧と安心、そして、生きる勇気を得られるのだと強く確信いたしました。
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