大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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9月 17日 自分中心のことばかり

  産経新聞 平成21年7月16日 朝の詩 より 草抜き    兵庫県養父市 米田啓祐 70歳 庭の草を抜いていると 頭の中に 次々と わき出てくる ことがある   よく見ると 自分中心のことばかり   いっしょに 抜いてしまおう と思うが 私という…

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9月 03日 400字で、死について考えること 

死についての判定や定義は文化、時代、分野で異なります。また現今は、脳死という問題を避けて通れず、尊厳死、安楽死という選択枝も増えました。しかしどちらにせよ生の謳歌を最上とする社会では死と生は断絶され、死は嫌われたままです。   僧侶でもあった種田山頭火は、「生を明らめ死…

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8月 13日 命を寿ぐ

  この国は「前例のない高齢社会」を迎えています。健康長寿の論理的帰結の一つに認知症の増加があります。認知症の中核症状やBPSDを学習しても、感情は最後まで残るのだと教えられても、家族介護者の疲弊は解消できません。厚生労働省は新オレンジプランを展開していますが、地域社会…

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7月 30日 喫粥了

しなくてはならない事から目を逸らし、自分のやりたい事しかしようとしない怠け者。   禅の道場の朝ごはんは、お粥です。 お粥をいただくことを喫粥(きっしゅく)といいます。 そして、喫粥が了ならば、食べ終わったならば片づけなければなりません。   あなたは、朝ご飯…

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7月 16日 『夜と霧』 テヘランの死神

『夜と霧』V・E・フランクルにある「テヘランの死神」の件です。 この話は、私たちが下す判断というものは案外と頼りにならないものであるという視点を与えてくれます。 決して、安易な運命論に堕してはなりません。 裕福で力のあるペルシア人が、召使いをしたがえて屋敷の庭をそぞろ歩いていた。…

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7月 09日 心が狭い

拙ブログの記事を、そのままコピペして自分の日記として公開されている人がいます。 タイトルまで同じにして、よほど気に入ったのでしょう。   なぜこんなことをするのでしょうか?とコメントを入れたら・・・「心の狭い人だ」とメッセージが送られてきました。   苦笑しな…

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6月 25日 問題

遅刻 失敗 思い違い 一つのミス そうすると、あなたそのものが悪いと追い詰められる 問題が問題でなく、人格や存在が問題となる 結果、「腹を切るまで許さない」 その事実が悪いのか、それとも、あなた自身が悪いのか   お釈迦さまと弟子の問答です。 弟子「知って犯した罪と知ら…

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6月 11日 いとやすき道

  佛となるに、いとやすきみちあり。もろもろの悪をつくらず、生死に著するこころなく、一切衆生のために、あはれみふかくして、上をうやまひ下をあはれみ、よろづをいとふこころなく、ねがふ心なくて、心におもふことなく、うれふることなき、これを佛となづく。又ほかにたづぬることなか…

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5月 14日 行というものへの小さな考察と期待

二宮尊徳は『二宮翁夜話』に「神道は開国の道なり。儒教は治国の道なり。仏教は治心の道なり」と記した。このシンクレティズムの様相を彼は「神儒仏正味一粒丸」と表現した。それは、神道・儒教・仏教のいいところが対立することなく混ぜ合わせたものであり、日本人が育ててきた宗教性を象徴した言葉で…

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