大童法慧 | 僧侶的 いま・ここ
何かを得ようとするのではなく 何かを捨ててみよう
大童法慧,曹洞宗,僧侶,祈祷,相談,生き方,悩み
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僧侶的 いま・ここ




10月 24日 お骨の重さ

火葬が終わり、お骨を拾い、壺に収める。 親の荼毘の終わる時間が待てなくて、さっさと帰る子もいると聞く。     箸渡しの儀式も拾うお骨の分量も、地域で異なる。 今では、お骨を全て焼切ってくれという意見も少なくない。 そうすれば、お墓の心配もしなくていい。 &n…

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10月 17日 徳をつらぬく

かくばかり みにくき国に なりたれば        ささげし人の ただに惜しまる   先の戦争の未亡人が詠まれた歌だそうです。     今年八月、ご縁あって知覧に行きました。長年、伺いたいと心に留めていた町です。というのも、私が生まれ育った町、山口県徳山市は回…

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10月 10日 starting over

  躓いても、自分を支えるのが困難でも、もう一度、歩き始めようと思えない時でも、それでも、生きざらめやも。     アルフレッド・D・スーザ Alfred D’ Souza 牧師 私はずっとながいこと、「本当の人生」はまだこれからだと思っ…

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3月 18日 無宗教葬 

都内葬儀社の社長さんとお話をした。 特に最近の流行は、菩提寺を持たない方の無宗教葬であるとのこと。 かつては、 戒名はいらないけれど、お経だけは読んで欲しいという方が多かった。 つまり、俗名での葬儀がされていた。 でも今は。 戒名はもちろん、意味の分からんお経もいらない。 お経よりも、故人の好きだった歌でも流した方がいい、と。 通夜や葬儀に集まって、音楽をかけて、焼香もしくは献花をする。 そして、偲ぶ会と称しての会食。 無宗教葬は自由葬ともいうらしい。 自由だから、何の制約もないから、 「自分らしい葬儀」ができるという売り。 ニーズの変化に対応する。 故郷の菩提寺との縁を断った今、 新たに都会で寺院墓地を持つよりも宗派不問の霊園が気軽でしょう、と。 生前、お寺や僧侶と縁がなかったのだから 死後に縁がなくとも困らないだろう、と。 「生き死に」に関して、宗教を求める必要がなかった人生。 案外、何よりの幸せなのかもしれない。 「無宗教。自由。自分らしさ。」 ここに、確固たる核があるのならば。
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3月 14日 ほどほどの饅頭

88歳のおばあちゃんが体調を崩し、入院した。 家族の祈りと治療の甲斐あって、無事に退院することができた。 おばあちゃんの好物は、甘いもの。 医師から、「これからは、できるだけ甘いものはひかえましょうね」と諭されて、「はいはい」と二つ返事。 帰りの車の中、お気に入りのお饅頭屋さんに寄ってくれ、と願うおばあちゃん。 「退院のお祝いだから、今日だけよ」と言って、立ち寄った。 久しぶりに微笑むおばあちゃんの顔を見た。 そして、、、「今日だけだから」「ひとつだけだから」と言いながら、甘いものを求める日々。 おばあちゃんの体調を気にする家族の切なる想いを、娘が伝えた。 「甘いものはひかえてとお医者さんに言われたでしょう。早く死にたいの? 今日から、家の中から甘いものを隠します」 驚いたおばあちゃんは、手を合わせながらつぶやいた。 「私は、ありがたいことに充分に生きたよ。 でも、最後は好きなものを隠されて、それを盗み食べるような人生にしたくはない。死んでから、饅頭をたくさん供えられても困ってしまう。できるだけ、みんなの手を煩わさないで逝きたいと願ってる。」 「ほどほどにしてね」と言った娘の返事に、「はいはい」と答えたおばあちゃん。 甘いもの、ほどほどに、ほどほどに。
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2月 20日 神も仏もあるものか

どこに続いているかわからない 真っ暗の夜道 一人寂しく ただ歩む その前を楽しそうに歩くあなたを見つけた 「その人に解決できる問いしか立てられないものよ」とあなたは微笑んだ そう、「神も仏もあるものかと」思うのならば、そこにいるのは、私独りだけ だから、「それでも・・・・神も仏もいる」と思えるのならば、私は独りではない     いつもともに  広島市 植松伸子 元気になったら すぐに 忘れてしまうのです あなたのことを だから 時々あなたは 私の足元に 小さな石を置いて下さる そして つまづいた私は 思い出すのです いつもともにおられる あなたのことを     産経新聞 朝の詩    
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2月 17日 「他者の苦悩に共感する」とは

「他者の苦難に共感する」とはどういうことかという問いに対し、私は『妙法蓮華経』「如来寿量品」良医病子の喩にある言葉、「常懐悲感 心遂醒悟~常に悲感を懐いて、心、遂に醒悟す~」に答えがあると思います。 これは、あなたのその悲しみが、あなたをして必ず真実なるものに導くという意味です。ただしそのためには、その悲しみを抱き続けなければならないとします。これは一見、突き放したような物の言い方のように感じるやもしれませんが、自己と他者の課題を分けながら、横の関係の視点を持ち続ける大切さを現している言葉だと理解するからです。 かの大震災以来、優しいイメージを持つ「絆」という言葉を旗印に、他者に寄り添う、他者の苦難に共感するということが容易く発信されていることにいささかの違和感があります。方向性としてはいい、言葉としては受けいれやすい、でも、苦難の原点は思い通りにならないことにあります。 昨年の10月に、私はとてもつらい御葬儀をいたしました。故人様は、36歳の奥様でした。ご主人と受験を控えた中学校3年生と中学校2年生の年子の兄弟を遺しての旅立ちでした。伺えば、奥様は昨年の正月頃から胃が痛いと訴えていたそうです。けれども、病院には行かずに、市販の胃薬を飲んでいた。4月中旬、家族で東京ドームに行った日、「お腹がすいたから、お弁当を食べよう」と弁当を広げた時、奥様が呟いたそうです。「お腹がすいているのだけれども、なんだか食べる事ができない」 その時はじめて、これはおかしいと家族の誰もが思った。翌日病院で検査の結果は、癌が進行し、もってあと半年との宣告であったそうです。出棺の際の御主人のお言葉に、私も思わず涙いたしました。御主人はお位牌を力いっぱいに握りしめながら、絞り出すような声でこう仰いました。 「なぜ妻がこんな目にあわなければならないのですか。一生懸命生きてきて、優しい妻だった。それが、なぜこんな目に遭わなければならないのか解らない。誰か教えてください」 この問いへ、他者が答えるのは難しいことです。自分自身を納得させることはできても、今、この御主人に納得していただけるような答えは、だれも持たないでしょう。この苦難に共感するとは、簡単に言えるものではありません。 しかし、精進落としの席で「いまは悔しいけれど、時間が忘れさせてくれるよ」の言葉を耳にした時、今、私が僧侶として伝えなければならないことはこれだと確信しました。 時薬、日薬という言葉があるように時間が悲しみを癒すとも言われますが、その一方で、時間がたってから一気に悲しみに沈んでしまう方がいるなかで、悲しみを乗り越えるとか、悲しみから立ち直るという言葉は、本当はそぐわないと思います。 すなわち、寄り添うとはただその場にいることではなく、他者の悲しみや苦しみという言葉を借りた自らの煩悩に向き合う努力を意味し、共感とはただ頷くことではなく、他者と自らの埋まらない違いに戸惑いながらも、共に明るい方向へと進む意思だということ。 ですから、「常懐悲感 心遂醒悟~常に悲感を懐いて、心、遂に醒悟す~」悲しみは抱き続ける智慧と勇気を持つことが大切であり、自分自身の学習と訓練、智慧と勇気を深め、「だけど、生きる」「だけれども、生きる」の視点を共有すること、それが他者の苦難を共感することにつながるのではないかと考えます。
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